松村 宗棍先生は、首里手系統の空手にとっては、極めて重要な方で、首里系手統の空手は松村宗棍に始まると言ってもいいほどの先生なのに、意外に知らない人も多く、顕彰碑さえ建てられてはいない
しかし、首里手の創始者が松村先生であること、武士松村と呼ばれ一世を風靡した達人であることは、沖縄ではよく知られている。
松村宗棍は王家のお側役として仕え、薩摩藩に留学して示現流を学び、奥伝(免許皆伝)に達したと言われていて、従来の「手」だけでは武術としては役に立たないことから、示現流の技法と理念を取り入れて編成したのが「首里手」だと言われている。
ここには肖像画を掲げたが、糸洲安恒の肖像画と実際に出て来た写真(金城先生所蔵)とは大違いだったので、松村先生の肖像画も当てにはならない。
松村先生のお墓にお参りした金城先生
中村孝先生も同行(撮影は筆者)
松村宗混(まつむらそうこん)先生は、琉球王国で「お側付き」と言う、王様を守るお仕事をしていた人です。
子供の頃から手(ティー)を習い、台湾に中国拳法を習いに行ったり、日本に留学して示現流と言う剣術を習い『首里手』を完成させました。
とても強く、誰も敵わなかったそうです。
糸洲安恒先生を初め、沢山の先生達が松村先生に首里手を習い、あこがれた先生です。