道場訓「非璃法権天」

「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は点に勝たず」とは楠木正成の旗印であった。最後に勝つのは天の道だと。

 日本一の強者と称された真田の六文銭の旗印は「死後に行くあの世へ渡るために越える【三途の川」の渡し舟の乗船料】それを持って戦場に赴く心意気を示している。豊臣秀吉は百姓上がりで旗印がなかったので竿にヒョウタンを下げて旗印にしたことから千成瓢箪が生まれた。もっとも有名なのは戦国最強だった武田信玄の「風林火山」(その疾きこと風の如く、徐やかんること林の如し。侵略すること火の如く、動かざること林の如し。)で、孫氏の兵法に由来する哲学的な旗印である。

 楠木正成は南朝の後醍醐天皇に忠を節尽くした南朝の忠臣で、「正しいことを法律や権力が抑え込むいつの世にも変わらない人間社会を見据えた上で、それでも正義のために戦う。」と言う心意気を示したものである。

 私がこれを成徳会の道場訓とした理由は、平成十年代に少年空手道競技で勝ちまくっていて日本一の不敗王者と称されたことから、幾多の迫害を受けた。

 エゴ(利己)+ジェラシー(嫉妬)+ハラスメント(嫌がらせ)=カラテウォー(空手戦争)という言葉は後から外国人たちに教えられたが、世の常である組織との戦いに臨んだ私の信念で、唐手の創始者「糸洲安恒」の糸洲十訓の教えでもある。

※もともこの旗印は後世の学者の創作だろうとも言われている。一運送業者に過ぎない正成が、私兵を擁してこのような哲学的な旗印を使うとは考え難いと言う理由だが、敵将「足利尊氏」からも尊敬されていたと伝えられる人物像から、あり得ないとは思えない。この事葉は、若い頃、浅田勇門下だった時に、同僚だった厚生省職員で君津寺副住職の関卓也から教えられて感銘を受けた。(関氏の家には楠木正行に繋がる家系図があり、同氏は「非理法権天」を空手着に縫い込んでいた。)