NPO法人正統唐手成徳会(特定非営利活動法人)

 設立        昭和46年4月1日(1941年)

 NPO法人設立   平成24年4月1日(2012年)

 

 全日本少年武道錬成大会で優勝14回(2位、3位多数回)

 日本武道協議会から受賞5回(少年武道優良団体として) 

       

成徳会はスタイル空手(流派空手)ではない

 現在、日本だけでなく世界でも流派名の付かない空手団体はほとんど存在しない。直径1キロメートルにも満たない沖縄県那覇市の首里地区で生まれた唐手に流派があるはずがない。りゅh名が付けばそれは唐手ではない、と言うことで、流派名がないことを成徳会は誇りに思っている。源流の唐手を伝える唯一の団体だと言う誇りである。

流儀等

 代表三谷和也は空手道を浅田 勇先生(松濤館流、千葉県木更津地区の空手道の創始者)に師事、浅田先生の元で、社団法人仙武会(松濤館流)で学ぶ。その縁で松濤会理事長廣西元信先生に師事。

 その後、航空自衛隊木更津補給処の松尾二曹のボクシングジムで、ボクシングの指導を受ける。(これが格闘理論に芽生えるきっかえとなった。)

 ブクシング経験から、研修会金城裕先生に学ぶことになり、源流の唐手から首里手に至るための練習法を学ぶ。

 平成九年(1997年)に独立を許された・「正統唐手」の名は、金城先生が付けて下さった。金城先生から独立を許されたのは三谷だけだ、と、これは金城先生の側近だった研修会八田 裕師範緒の言葉だった。恐らくその通りだろう。独立を許されたと言う話は聞かないから。

 

 と言うことで、流派名はないし、名乗らない。金城先生の言葉で言えば、空手に流派はない(流派名が付けば唐手ではない、と言うことだった。これは松濤館の船越義珍、修道館の遠山寛賢の両先生も同じご意見であった。

 糸洲門下の高弟の先生方、屋部憲通、花城長茂、本部朝基、喜屋武朝徳、大城朝恕、知花朝信の各先生のどなたも流派名を名乗らなかったことからだろう。

 私も流派名は名乗らない。系統を示す目的で、金城先生は正統唐手と命名して下さったと理解している。

 

唐手から首里手へ

 唐手は、「手」を残す目的で、糸洲安恒先生によって学校体操として、泊手を元に編成された。それは軍事教練の基礎体力作りを表立った目的として、西洋式体操として編成されたものである。そのために、空手の形はは主に中段受け、中段突きにしてある。

 西洋式体操唐手では挌闘は出来ない。そこで、屋部、花城、徳田案文など中等教育に携わっていた先生方は、平安の形も習得され、指導もされたが、多くの先生方は唐手ではなく、当時はほとんど消滅した首里手を探し求めたようである。

 金城先生は大城門下だが、大城先生からは全く平安を習ったことはないそうだ。稽古はもっぱら、組手から取手へとつながる練習だった様である。平安は中学で徳田先生に倣い、卒業後は花城先生の指導を受けたそうだ。本部先生至っては、ナイファンチ初段以外の形は不要だと言うことで、晩年はナイファンチしかおやりにならなかった。格闘理法を習得するには十分だと言うこのようだ。

 

 これが現代競技で、組手競技が始まったために、唐手では習得できない格闘技法を、首里手を模索しながら追い求めることになり、金城先生から首里手を学ぶことになった。成徳会の組手理論は、松村宗棍先生(首里手の創始者)の首里手を追い求めて形成されたものであった。